マタタビ備忘録

とある新社会人の思っていることを書く場所

同期との距離感

偏差ではあるが、他人といるよりも一人でいる方が好きだ。
実際気の合う人と酒を飲みながら話こむのも好きだし、まったく知らない人と話すことも嫌いではない。
だが自分の時間を死守するために、主に初対面~知り合いくらいまではかなり距離を置いている。
それは周囲の人間から見ても明らかである。
同期から面と向かって、君はどうしてそんなに距離をとるの?といわれるほどだ。
その距離感が嫌だというなら、自分と同じ立ち位置に立ってもらえれば不快感もない…と思う。
別にそこまでして仲良くなる必要性はないので。
でも全く嫌いという訳でもなし、皆平等に尊重し、敬意を払って接している。
同期は頼もしく、自分にはない強みを多く持っていらっしゃる。
困っているなら躊躇なく助けるし、求められれば協力もする。

休日どこかに一緒に、みたいなのは全て丁重に辞退している。
大体誰かとどこか行ったんですか、みたいな質問に対して一人で行くのが好きで…と話を展開すればその手の誘いは皆無となる。
それほど仲良くない人のために金や時間をつぎ込むよりかは、一人の時間を優先する傾向にある。
このお金や時間は、正直よく知らない人につぎ込むよりかは価値が高い。
それは組織にいる自分にとって、一人でいる時は身勝手な自由を許容される唯一のお金と時間なためである。

一方で将来の先行投資になる、組織内の飲み会や集まりについては、仕事を円滑に進めるためというわけではないが優先して参加している。
それつながりでおそらく配属が同じになった人物とは間違いなく仲良くなるのでないか。損得勘定というわけではないが、その方が業務はうまくいくし、何より楽しい。
単純に接触回数がカギなのだろう。研究室の同期も実際そうであった。部活もしかり。
この経験から自発的に他人と仲良くしようということはあまりしなくなった。

ただこの手のことをしていると、誰もかけていない同調圧力みたいなものを感じることがある。
幼少域はそれこそ独自の道を行くこのに抵抗が全くなかったのだが、小学校教育のどこかで何かおかしくなった。
言語化するならば、ほかの人がしていないことをすることに対する罪悪感なるものである。
自分にとってはこれは呪いに近い。しかし、一般的な人物の思考回路を追うことのできる道しるべにもなっている。
なぜあんなに他人とつるむのか、仲良くなろうと近づくのか、ということは理解はできる。
自分にとってはそうでないことが、他人にとって重要なことであることも感じ取ることはできる。
一方で向こうではこちらの感じていることは理解不能かもしれない。
この一方通行の認識の狭間にとらわれてしまい、ぼんやりと黄昏ている時、罪悪感に苛まれてしまう。
解決策はとっとこの無駄な思考を捨ててしまうことだが、これがなかなかに難しい。

他にもこういうことを考えている人はいるのだろうか。

マナー研修

率直にマナー研修の感想を表せば、正しいことと違和感の螺旋構造体だった…といったところだろうか…
確かに印象付けをよくする、相手を不快にさせない、TPOをわきまえるといったことは円滑なコミュニケーションをとるうえで重要である。なっていなければ組織から排斥されてしまうであろう。


しかしながら、研修を通して思ったことは、そんなことで不快に思う人間が世の中にいるのか…ということである。
もちろん相手に対して完全に軽視し、乱雑に扱ったり、暴言や無視などはマナー以前の問題ではあるが、こういったことはしてはならない。さすがに自分もされれば腹が立つし、それ相応の対応をとるであろう。


個人的に違和感を感じた点は、淡々と話されると感じが悪い、椅子の座り方がどうとか、日本はこうなので…こうしなくてはならない、といったところだろうか。
淡々と話されると感じが悪い、と感じる感性は尊重するし、そういったことが重要になってくるのは主に1対1でのコミュニケーションの機会に重要になってくるであろう。
こういったところで、相手に合わせて話すことは自分にとってはツールであり、相手に不快に思わせない点では使うが自分では全く不快に思っていない。
この辺りは感性豊かな方に合わせてあげないといけないのか…と内心思ってしまった。

 

椅子の座り方については、余計なお世話だろうな…という感情しか思いつかなかった。
ほかの人間がどんな座り方をしていようが、自分にとってはどうでもよく、視界にすら認識されない。
個々で最適化しているのであれば、そこを尊重してあげてもよいのでは…と思ってしまう。極端なことを言えば、デスノートのエルみたいな座り方でも生産性を挙げて仕事をしていればオッケーと思っている。
まあ人のこと見てガタガタ言ってる余裕(暇)がおありなんでしょうね。
ただ一方で姿勢は整えていた方が、メリットがあることが確かで、逆に猫背になっていることでの弊害はかなり大きい。

こういったところでは座り方矯正の椅子の置物?のようなものを導入すれば、個人的には皆率先して姿勢の改善が見られるのではないか、と思う。姿勢などの習慣を個々の意識で変えるには、なかなかに難しい課題である。

 

あと日本は…こうしなくてはならない、はさっさと排斥されていい慣習であると思う。
もちろんそういったことを守る人を馬鹿にしたり、やめた方がいいといったことを言うつもりは全くない。ただ他の人のスタンスも尊重するべきである、という話である。

 

無駄な同調圧力によって引き起こされる無駄な慣習は、自分にとって無駄なアプリケーションをインストールしてPCを重くすることと同義である、と認識している。
ただ、ここでいう自分にとって無駄なアプリケーションはもしかしたら他の人にとっては最適化されており、もしかしたら重くならないのかもしれない。


しかし、それを強要するのは如何なものだろうか…なくては困るものであるならば、インストールするのもやぶさかでないが、マナーなどでそういった事例を自分はあまり見たことはない。

まあこれは単に自分が価値観の押し付け、を嫌うからこんなことを思うのですね。