マタタビ備忘録

とある新社会人の思っていることを書く場所

マナー研修

率直にマナー研修の感想を表せば、正しいことと違和感の螺旋構造体だった…といったところだろうか…
確かに印象付けをよくする、相手を不快にさせない、TPOをわきまえるといったことは円滑なコミュニケーションをとるうえで重要である。なっていなければ組織から排斥されてしまうであろう。


しかしながら、研修を通して思ったことは、そんなことで不快に思う人間が世の中にいるのか…ということである。
もちろん相手に対して完全に軽視し、乱雑に扱ったり、暴言や無視などはマナー以前の問題ではあるが、こういったことはしてはならない。さすがに自分もされれば腹が立つし、それ相応の対応をとるであろう。


個人的に違和感を感じた点は、淡々と話されると感じが悪い、椅子の座り方がどうとか、日本はこうなので…こうしなくてはならない、といったところだろうか。
淡々と話されると感じが悪い、と感じる感性は尊重するし、そういったことが重要になってくるのは主に1対1でのコミュニケーションの機会に重要になってくるであろう。
こういったところで、相手に合わせて話すことは自分にとってはツールであり、相手に不快に思わせない点では使うが自分では全く不快に思っていない。
この辺りは感性豊かな方に合わせてあげないといけないのか…と内心思ってしまった。

 

椅子の座り方については、余計なお世話だろうな…という感情しか思いつかなかった。
ほかの人間がどんな座り方をしていようが、自分にとってはどうでもよく、視界にすら認識されない。
個々で最適化しているのであれば、そこを尊重してあげてもよいのでは…と思ってしまう。極端なことを言えば、デスノートのエルみたいな座り方でも生産性を挙げて仕事をしていればオッケーと思っている。
まあ人のこと見てガタガタ言ってる余裕(暇)がおありなんでしょうね。
ただ一方で姿勢は整えていた方が、メリットがあることが確かで、逆に猫背になっていることでの弊害はかなり大きい。

こういったところでは座り方矯正の椅子の置物?のようなものを導入すれば、個人的には皆率先して姿勢の改善が見られるのではないか、と思う。姿勢などの習慣を個々の意識で変えるには、なかなかに難しい課題である。

 

あと日本は…こうしなくてはならない、はさっさと排斥されていい慣習であると思う。
もちろんそういったことを守る人を馬鹿にしたり、やめた方がいいといったことを言うつもりは全くない。ただ他の人のスタンスも尊重するべきである、という話である。

 

無駄な同調圧力によって引き起こされる無駄な慣習は、自分にとって無駄なアプリケーションをインストールしてPCを重くすることと同義である、と認識している。
ただ、ここでいう自分にとって無駄なアプリケーションはもしかしたら他の人にとっては最適化されており、もしかしたら重くならないのかもしれない。


しかし、それを強要するのは如何なものだろうか…なくては困るものであるならば、インストールするのもやぶさかでないが、マナーなどでそういった事例を自分はあまり見たことはない。

まあこれは単に自分が価値観の押し付け、を嫌うからこんなことを思うのですね。